小説やアニメが原作のオススメの洋画~SF系~

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ブレードランナー

ブレードランナーの簡単なあらすじ

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?科学技術の発達した地球は自然が壊滅的な打撃を受けており、昆虫や小動物などは絶滅に瀕しており、絶滅が危惧される生物は政府が厳重に保護している閉鎖的な世界で主人公のデッカードは逃亡した人造人間、いわゆるアンドロイドを処分する仕事をしています。主人公はアンドロイドを処分しているうちにアンドロイドたちが人間と変わらないことに気が付き人間とは何かを考えさせられます。

ブレードランナーをおすすめする理由

原作の小説には主人公のデッカードに奥さんがいることと、電気仕掛けの羊を飼っている事が洋画と異なり、アンドロイドのレイチェルが居る研究所もタイレル社という名前になっています。奥さんが出てこないのでデッカードが屋上で羊をかっているという設定もなくなっていました。

後、マーサー教というキリスト教に似た宗教の話が一切無く、アンドロイドは殺されても文句はないという設定になっています。原作の小説ではアンドロイドも宗教上殺してはいけないという話だったのですが、やはり、敵を作らないとSFは話が進まないのでやむなく削除したのだと思います。

主人公であるデッカードとアンドロイドのロイ・バティーとの対決シーンは見物です。特にロイ・バティーを演じているルドガー・ハウアーの主人公のデッカードを演じているハリソン・フォードを何が何でも殺そうとする狂気の顔がすばらしく怖いと感じます。ハリソン・フォードの怯える表情も実に人間らしい表情であり、どちらが人間でも関係ないという感情が伝わってきます。

タイムマシン

タイムマシンの簡単なあらすじ

19世紀ニューヨーク、大学教授アレクサンダー・ハーデゲンは、プロポーズした日に事件に巻き込まれてなくなった恋人エマを失わないための方法を探すために、4年の月日をかけタイムマシンを完成させました。彼は過去に向かいタイムマシンを発動させました。しかし、何度過去に遡ったところで、結局エマを死から救うことはできませんでした。

そこで未来へ行ってみれば、過去を変える方法もわかるのではないかと思い、タイムマシンのダイヤルを未来へと回しました。タイムマシンの外の景色はどんどん移り変わっていきます。たどり着いた2030年では、博物館ではモニター越しのAIが案内役をし、人々は月へ移り住めるような時代でした。そこにアレクサンダーの求める答えはなく、7年後へ彼は向かいました。

2037年では移住のために行った月の爆破の失敗により、地球に月の破片が降り注ぐ恐ろしい事態になっていました。彼にも月の破片がぶつかり、気を失ってしまいました。その間に、タイムマシーンはどんどんと先の未来へ進んで行ってしまいます。

そしてたどり着いたのは80万年後、そこはエロイという種族が住む文明のない原始的な世界でした。教師のマーラと出会い、その穏やかな生活をともに過ごしました。しかし、その世界に存在するのは優しいエロイだけでなく、彼らを捕食するもう一つのモーロックという地底人もいました。あるときマーラがモーロックに捕らえられてしまいます。そこで、アレクサンダーはマーラとエロイ達を救い出すためにモーロックへ立ち向かっていきます。

タイムマシンをおすすめする理由

原作が発行されたのは1895年で、100年以上前の作品です。そのため、映画版にあった未来に向かう理由や、近未来の描写が異なったりしています。H・G・ウェルズの示したかった80万年後のエロイとモーロックの意味合いが、ちょっと映画版では違っていたと思いました。

好きなキャラクターは2030年の未来の博物館で出会ったガラス型のモニターに映し出された、AIのインフォメーションシステムのボックスです。今では当たり前となったAIとの会話やガラスの様なモニターに映し出される映像は、2002年当時見たときはとても未来的でわくわくしたらからです。

そして一番好きなシーンはタイムマシンの外の世界がめまぐるしく変わっていくシーンです。1960年版の映画でもあった向かいの洋服店のショーウィンドウの洋服が変化していく場面が、とても印象的で大好きです。

ゴースト・イン・ザ・シェル(攻殻機動隊)

この洋画の簡単なあらすじ

舞台は第3次大戦と第4次非核大戦後の2030年頃の日本、人体のサイボーグ化や義体化、脳や意識をダイレクトにインターネットなどに接続する電脳化が一般的になり、犯罪も多様化し複雑になった時代。内務省・首相直属のテロに対する攻性公安警察組織「公安9課」に所属する、脳以外は全身義体化したミラ・キリアン少佐(原作・草薙素子)とサイバー技術の破壊行為を企てる謎のハッカー集団との戦いが描かれています。

この洋画をおすすめする理由

士郎正宗が描く濃密でディープな独自の近未来の世界観、キャラクターの魅力と緻密な作画からアニメ版ゴースト・イン・ザ・シェルは国内外に根強いファンが多く、洋画化には賛否両論がありました。アニメ版の主人公の草薙素子は主に「少佐」と呼ばれており、洋画版でミラ・キリアン少佐を演じているスカーレット・ヨハンソンの洗練されたボディとアクションは、なかなか強く美しい「少佐」にハマっています。吹き替え版で「少佐」を演じる声優はアニメ版の田中敦子さんが担当、洋画の俳優の声を全てアニメ版の声優が担当しているのは、オリジナルのファンにとっては嬉しい配慮です。

ゴースト・イン・ザ・シェルの魅力はキャラクターはもちろん、ハリウッドの技術で再現された近未来の世界、随所にこだわりと原作へのリスペクトが感じられます。アニメ版で馴染みがある透明人間になる光学迷彩のアクションは、見えない姿を水しぶきで表現したシーンが新鮮でした。公安9課の指揮官、荒巻役のビートたけしの怪演と、頑張っている戦闘シーンもお気に入りです。

オール・ユー・ニード・イズ・キル

この洋画の簡単なあらすじ

欧州侵略。それが起きたのは何の変哲もないとある日の昼頃であった。宇宙からの飛来物、隕石と見紛うそれは、ドイツ連邦共和国ハンブルク州に落下した。堕ちてきたものは知的生命体、エイリアン。通称ギタイ。硬質なボディと機械的な体に反して、幾重にも生えた鋭い触手に牙を持ち、俊敏で強靭な体躯を兼ね備えた外来生物は燃え広がるようにして欧州大陸を次々と戦場と荒野に変えていった。ドイツ、フランス、ベルギー、イタリア、チェコ、ハンガリー、ウクライナ……東部はロシア西端に迫り、西部はスペインとフランスの境とするピレネー山脈までに至り、数々の国がエイリアンの前にひれ伏した。

しかし5年目にして人類はフランスのヴェルダンにおいて奇跡的な勝利を果たす。この戦いにおいて導入されたのが「機動スーツ」と呼ばれる兵器であり、一人の兵士による英雄的活躍と合わせて、統合防衛軍は勝利を材料として民衆の士気高揚を狙った宣伝に熱を注ぎ始める。米軍メディア担当将校であるウィリアム・ケイジもその一人であり、メディア担当もさることながら、ニュース番組への出演やインタビューに参加し、最新兵器への期待を高めると同時に、徴兵政策への支持維持を担っていた。

ある日、侵略の手が伸びていないイギリス、ロンドンへと赴き、現地の作戦指揮官から重要な話を持ち掛けられる。”殲滅作戦”北欧よりフランス、ドイツへの上陸作戦を敢行、同時にロシア前線より部隊を進撃させることで挟撃を行うという大規模作戦についての話だった。当作戦の司令官であるブリガム将軍が憂慮していたのは、この作戦による責任追及であった。それを和らげるために、ケイジ少佐には作戦自体の支持拡大を目的としたPRをしてほしいと頼み込む。ケイジ少佐は苦も無く了承するが……

「撮影班と出発して上陸部隊と合流しろ」ブリガム将軍は、前線におもむき作戦のPR動画の素材を取って来い、と命令したのだった。将校であるが兵士ではない。命令を受けた少佐は困惑してこれを拒否する。抵抗する少佐であったが、命令違反する少佐を将軍は逮捕。上陸部隊の駐屯するヒースロー基地へと送り出す。

「立て ウジ虫!」気を失ってから目覚めると思わぬ一声を受けて、将校と言うプライドと保身への執着から、自身が至った事の経緯を説明するものの、現場において彼は一端の初年兵という扱いしか受けなかった。加えてブリガム将軍のはからいにより脱走兵というお墨付きをもらい、訓練所でしごかれたうえに翌日明朝には前線へと出撃するという過酷な状況に陥ってしまった。

機動スーツを着込み、輸送機に乗せられ、前線へと送られるものの、安全装置の外し方も分からなければスーツの機能も十分に分からない。配属されたJ部隊の面々と共に戦地に降り立つが、強襲作戦のはずであるのに敵部隊が待ち伏せしており、戦場は混乱の体を為す。初出撃に輪をかけてまごつく彼は味方と共に、敵であるギタイに包囲されて壊滅する。
ケイジ少佐は対人地雷による自爆を行い、青いギタイを道連れに力尽きた……が、

「立て ウジ虫!」

目覚めると聞き覚えのある罵声を聞いていた。

この洋画をおすすめする理由

作品原作は桜坂洋著{All You Need Is Kill}。映画邦題は原作と同じですが、原題は「Edge of Tomorrow」となっています。主に両作品で共通している部分は時間遡行モノ、戦争、ゲーム性の三つになります。この三つの要素は作品においては不可分で、これらの要素によりシューティングゲームさながらの面白さが演出されています。

戦場という戦いを通して経験を積み、死亡することである地点からやり直しとなり、前回の敗因を見直して再び挑戦していく、というプロセスを積み重ねることで主人公が強くなっていくというのが両者の骨子であると同時に、大きな魅力であると言えます。読者、視聴者はその工程を通してキャラクターの成長性を感じることができると同時に、ゲーム的な楽しみにのめりこむことができるでしょう。

主な両者の相違点はストーリー・演出の方向性に決定づけることができるでしょう。映像化の弊害、もしくはハリウッドの文法が映画にはある、といってよいと思います。ではその具体的な方向性の違いというのは何かということですが、それは両者が物語で何を重視しているか、というところに尽きると言えます。

時間遡行もしくは予知能力を扱う作品は数多くあり、そのネタを提示されただけで国内海外を問わず多くの作品群、バタフライエフェクト、バック・トゥ・ザ・フーチャー、コ―リング、シュタインズ・ゲート、時をかける少女…といったものを思い浮かべると思います。原作小説はこれら(一部は違うかもしれませんが)時間遡行モノにあるような、恋愛を絡めた切ない抒情的な部分を魅力のひとつとしても持っています。特にリタ・ヴラタスキの過去が描かれていたり、時間遡行の仕組みによる悲劇的な別れといった描写は同情を誘います。

一方で映画作品の方は先ほど述べたゲーム性と言う点に重点を置いています。まず主人公が一端の兵士であるという設定から、戦闘経験の無いメディア担当将校に変わっているという点からも変化をうかがえることでしょう。彼は序盤における戦闘では本当に情けなく描かれるのですが、死亡してやり直すことを繰り返すうちに段々と成長していく姿は、俳優の演技力と先の設定により、原作に比して殊更に強調されているといえます。

また、映像ならではの表現として、突然のカット切り替えによる死亡・復活の繰り返しがコミカルに表現されて、リズムよく主人公が成長してくところは気持ちよく見ることができるでしょう。小説においては難しい素早い展開をうまく映像に落とし込んでいるところは映像化作品ならではの長所でありました。

主な共通点と差異は前述の通りであり、映画作品は原作のエッセンスを受け取り、それを前面に押し出した作品だということができるでしょう。
他の細かな違いと言えば、登場人物の出身国や名前が少々変えられていたり、時間遡行の仕掛けの設定が映画では単純化されていたといった点がありますが、映画を見ている分にはあまり気にならないものだと思います。

映画において惹かれてしまうシーンはやはりギタイとの戦闘場面です。原作はライトノベルの括りであるものの、他の著書と比べて挿絵はそこまで多くなく、巻末において機動スーツの設定画があるのですが、敵であるギタイの絵は一切なく、その恐怖感が印象としては薄い、というのが正直なところでした。

しかし、ハリウッド映画化という過程を経て姿を得たギタイの描写は生々しく、見るものに恐怖を与えるのに十分な容貌とふるまいをしているといえ、原作において表現しきれなかったところに手が届いたものだと大変満足できるものだと思います。

登場人物においてはトム・クルーズ演じる主人公、ウィリアム・ケイジがずば抜けて魅力的でしょう。非戦闘員から歴戦の戦士にまで成長していく姿、その過程で苦しみ悩む姿、試行錯誤する姿には、テンポの良い描写とかみ合って大いに共感できるところでありました。またかの俳優はミッションインポッシブルの連作で知られますが、戦いから逃げ出そうとする主人公といった、王道映画作品においては少々情けないような役柄といったイメージが無かったので、ケイジを演じるトム・クルーズの演技においても十分に楽しむことができるといえます。

バック・トゥ・ザ・フューチャー

バック・トゥ・ザ・フューチャーの簡単なあらすじ

情けない父親に対してコンプレックスを抱いているマーティンは、ある日、友人のドクが造ったタイムマシン、デロリアンに乗って過去へと向かう。そこで自分を助けてくれたのは、なんと若かりし頃の自分の母親だった。そして、困った事に過去の母親は、マーティンが好きになってしまった。

マーティンは、このままでは過去で両親が結婚しない事になると慌てふためる。マーティンは、過去のドクにも協力してもらい、過去の両親を結ばせる事に成功。そして、雷を利用して再びマーティンは自分がいた時代へと戻る事に成功する。

バック・トゥ・ザ・フューチャーをおすすめする理由

原作では、過去の場面はもっと長いんです。実は過去に戻ったマーティンは映画を見ているんです。ですが、その事を過去のドクに話すとひどく叱られます。軽はずみな行動で、未来は容易く変わるという、かなりリアルな描写があり、映画のマーティンよりももう少し明るいイメージが強い青年です。

お気に入りのキャラクターはドクです。デロリアンを改造した彼がマーティンを過去に行かせた本当の理由は、彼と親友になりたかったのだと思うんです。時間の不思議さですが、彼は最初にマーティンが過去に行った時には全てを知っていたはずなんです。だから、なにがなんでも過去に行って欲しかったのではないのかな。

マーティンと出会ったおかげで、ドクはかなり変わったのだと思います。風と雨が降りしきる中で、マーティンの為に奔走する姿が印象的でした。

わたしを離さないで

わたしを離さないでの簡単なあらすじ

施設のような場所で暮らす子供たち。普通に遊んだり勉強したりしているが、施設の外に出ることは許されない。主人公の少女、キャシーはトミーという感情をコントロールできない繊細な少年と親密になる。また、女友達のルースはそんな二人に気づき、やがて成長すると、ルースがトミーと付き合うようになる。彼らには秘密があり、「提供者」として臓器などを人間に提供するクローンとして生まれ、やがて提供を終えると死を迎える運命にあった。

わたしを離さないでをおすすめする理由

小説では静謐な雰囲気と筆致で、決して感情的にならずに、主人公キャシーの視点から物語が淡々と語られる。クローン、臓器提供など、未来に起こりうるかもしれない設定で、近未来風に描かれてはいるけれど、現実に直面するかもしれない問題として読めた。

小説では映画よりも丁寧に登場人物の心情が描かれているが、淡々としているので衝撃的な感じは受けず、切ない印象が残るいい作品です。映画版ではその世界観を美しい映像美や役者の繊細な表情の演技、そして「愛」をより重視してラブストーリーとしても観られて多くの人に共感できるように作られていた。

お気に入りのシーンはクローンである彼らが「ポシブル」という自分たちの元になった人間を探しに行くものです。街のお店で注文するだけでドキドキする彼らや、「ポシブル」ではないかと思う人物を探し出すところは息が詰まるような緊迫感がありました。また、主人公のキャシーとトミーが長い月日をかけてやっとお互いの愛を確認しあい、結ばれるシーンが切なくも印象的でした。

お気に入りの登場人物は愛くるしい表情だけれど憂いを帯びた美しい主人公、キャシーと、憎めないキャラクターのトミーです。この二人の恋模様も物語で重要になってくるのでお気に入りです。

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